Weekly Overitsa 2000.03.05

ドルはなぜ安いのか

まずは基本から。

通貨とは基本的にはモノなどを買うための価値を貯える媒体である。経済的に豊かになるということは、基本的には、通貨をたくさん持つことか、あるいは持っている通貨の価値が増えることである。通貨の価値の本質は、いろいろと制限がありはするものの、自由というものである。

デフレになり、物価が下落すれば、通貨に貯えられている自由は相対的に増加することになる。これは貸し手有利、借り手不利に働く。インフレが善で、デフレが悪と単純には決め付けられない。あちこちで書いた覚えがあるが、イギリスのヴィクトリア時代には24年間デフレが続いた。この間にイギリスの国民の生活水準は向上し、労働者のさまざまな権利が認められるようになったのだ。

そもそも経済の本質がデフレである。物々交換の時代から比べると、通貨の価値は、歴史的な長期視点で捉えると、右肩上がりなのである。そう、インフレというのはむしろ特殊な現象であり、デフレこそが経済の正常な状態である。10年前のパソコンの価格/性能と現在のそれを比べてみたまえ。凄まじいばかりのデフレが進行していることがわかるはず。しかし、コンピュータ業界は決して衰退しているわけでもなく、むしろ時代を先導していると見ていい。

さて、話をもう一度貸し手と借り手に戻そう。

日本は貸し手であり、アメリカは借り手である。アメリカにとって債務履行を容易にするには、通貨ドルの価値を下げることが有効である。日本が持つ対米債権の大半がドル建てだからだ。これが一般に知られているドル安要因の一つである。

ITと金融もドル安要因となっている。ITと金融で豊かになった人々は、当然何かを買う。しかし、ITと金融自体は買う対象をあまり生み出さない。ITと金融で自動車ができるわけではない。そのため、ITと金融で成功すればするほど、アメリカには世界中のさまざまな製品がなだれ込むのである。これが貿易において大きな不均衡を生み出し、ドルに対しては下げ圧力となる。日本の内需が不調であるのと同じように、アメリカの内給もまた不調である。貿易不均衡はアメリカのせいでもあるのだ。

日本で高齢化が進んでいるのも円高要因となっている。年金生活者にとっては、物価高は困るのである。先が見えない不安から、消費も控えめになり、物価に対しては下げ圧力が続いている。

アメリカのITと金融、アメリカの対日債務、日本の高齢化――どれもマクロ的な要因であり、そう簡単にはドル高に転じることはないのである。

勝率

勝率80%のシステムの収益が必ずしも勝率20%のシステムの収益を凌ぐとは限らない。勝率は低くても、トレンド系の単純なシステムが当たる時にはその額は非常に大きい。

ミューチュアルファンド

約7割のファンドマネージャーはマーケット平均に勝てていない。インデックスファンドのほうが利回りはいい。

MetaStockとかOmega Research Prosuitとか

やたらと値段が高い!

Excelくらいの値段で作るところが現れれば、相場ソフト市場はひっくり返るかも。

教育

全般

まずは成果が上がる標準的な学習法を教える必要がある。それには、自分に合わせた教材の選び方などの基礎的なことはもちろんのこと、混乱した時の対処法・情報の価値の吟味法・学習した内容の理解度の検証法等を含んでいなければならない。もちろん、その後に各生徒が独自の方法を用いるのはかまわない。

一人一人の能力は異なる。したがって、全員横並びで教えようとするのはすこぶる効率が悪い。各生徒は自分のペースで学習を進めるべきであり、学習の中心は自習にすべきである。教師は生徒の疑問に答えたり、小人数での実験・実践などの指導を勤めるだけでいい。

教材に書かれていないことを教師が自分の意見として言及する場合には、教師はそれが個人的な意見であることを明確にして話すべきである。

生徒はある単元について十分な理解が得られる前に次の単元に進むことを許されてはならない。

躓いた生徒に対しては、以前の単元にある何らかの不備について集中的な学習と訓練を課されるべきである。そして、これでもなおうまく行かなければ、課程を再履修すべきである。

国語

まずは国文法を再構築する必要があると思える。現在の国文法学は一般的な言語学的視点から構築されているものではなく、問題点も多い。たとえば、五段活用などの概念そのものは実際的ではない。日本語の形容詞≠ヘ一般的な言語核的視点から見れば形容詞とは言えない。

また、外来語の純日本語化を怠けてはいけない。そうしないと、英語と同じように語彙が膨れ上がり、能率の悪い言語になってしまう。「維生素」(ビタミン)や「可口可楽」(コカコーラ)等の訳語を生み出した中国人、baladeur(ウォークマン)を生み出したフランス人などを見習うべきである。

また、この科目については、読むことと書くことの配分をもっと最適化すべく模索が必要である。

外国語

個人の幸福のためには、もちろん小学生からやる必要がある。日本語をきちんと覚えてしまってから英語を覚えさせようとするのは非能率。

英語だけではなく、他の言葉もどんどん教えるといい。中国語・アラビア語・ヒンドゥー語のそれぞれの話者の数は英語話者の数よりも多いから、ついでにそれらも教えるといい。

もちろん、国民は手強い存在となる。国内で条件のよい人生が実現できなければ、どんどん海外に出て行くようになるかもしれない。しかし、それを恐れているようでは21世紀の日本の繁栄はかぎられる。

数学

それぞれの単元で、学ぶ定理などがそもそもどのような目的で生み出されたのか、そして、それらを生み出した大数学者たちのものの考えから等を、きちんと教えるべきである。数学を暗記科目にしてはならない。

また、コンピュータによる映像処理なども直感的な理解を助けるのに役立つのでどんどん導入するといいだろう。

理科

理論の詰め込みに終わらず、各単元を実験を通して教えるべきである。この科目においては、概念と実態の関連付けは不可欠なのだ。概念だけでは実際に使える知識にならないし、実態だけでは時代の流れについていくことができなくなる。

社会

歴史学や地理学に加えて、法学と経済学の要素をもっと色濃く反映させるべきである。過去の判決などについての議論、投資投機の理論と仮想売買等を通じて、使える社会科を目指すべきである。

体育

課外活動を何とかしなければならない。一年中同じスポーツばかりやっている現状は根底から改められる必要がある。夏期のバスケットボールと冬期の野球はともに愚かである。

また、訓練内容も科学的な知識に基づくべきである。まずは循環器系を歩いたり軽く走ったりすることで1年くらいはじっくりと鍛えておかないと、後に故障の多いスポーツ人生を送る羽目になる。瞬発力が必要なスポーツにおいても、最初に循環器系を鍛えておかなければ、後々伸びなくなるし、体を壊してしまうだろう。

美術・音楽

対象を描くためには、まずは視点を固定させることが基礎中の基礎である。頭をぐらぐらさせてはいけないのだ――この最初の最初に教えるべきことがすっかりないがしろにされているので、徹底的に改める必要があるだろう。基礎を最初からしっかり教えなければならないのだ。

音楽については、まずは耳を鍛えなければ話にならない。小学生に最初から楽譜を見せてはならない。聴音を十分に行い、流れている曲を聞き取って、楽器や声で探りながら習得するようなやり方にする必要がある。

技術家庭

この学科では、食品添加物や環境ホルモンなどの影響を考えた買い物のやり方も教えるべきであろう。

この学科の網羅する範囲は広いが、生徒はそれらすべてを学ぶ必要はない。身近な生活に関係ある部分を深く学べばそれでよいのである。

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